1960
ネオプレン素材との出会い
フィラデルフィア・イーグルスのヘッドアスレチックトレーナーのG.E.”ムース”デティがネオプレンサポーターを開発。ネオプレン素材とは、保温性に優れ、四方に伸ばせる新素材。そのネオプレン素材を使い、サポーターを開発し、たちまちプロチームのトレーナーや大学のスポーツトレーナーの間に関心が広まる。
1960
フィラデルフィア・イーグルスのヘッドアスレチックトレーナーのG.E.”ムース”デティがネオプレンサポーターを開発。ネオプレン素材とは、保温性に優れ、四方に伸ばせる新素材。そのネオプレン素材を使い、サポーターを開発し、たちまちプロチームのトレーナーや大学のスポーツトレーナーの間に関心が広まる。
1974
“ムース” デティは、1974年にフィラデルフィア・イーグルスからリタイアし、彼の子息であるジェリーが新しいPro Orthopedic 社の立ち上げの為に参加しました。それから常勤となり、1998年に会社を経営することになります。
1975
ダラス・カーボーイズとマイアミ・ドルフィンズがスーパーボウルで優勝した時のチームトレーナーをしていたラリー・ガードナー。トレーナーを退職後、スポーツメディスンセンターの取締役となる。彼がPROのひざサポーターに関して記事を書きました。
1976
NBAフィラデルフィア・セブンティシクサーズのスタープレヤーモデルを開発。膝蓋骨の脱臼に効果的な新しいサポーターの設計。他に専用のはさみの製作、スポーツ業界初の男性用スポーツショーツの製作も行う。
1980
シンプルに、それほど値段が高くなく、しかしながら品質は同等に。商品開発は、アメフト用のグローブ、クーリングや応急処置のクリーム・ローションに及びます。
1984
38代大統領ジェラルド・フォードと39代大統領ジミー・カーターにサポーターを処方。ニューヨークタイムズに、ホワイトハウスの医師によりフォード大統領とカーター大統領にPROのニーサポーターが処方された記事が掲載されました。
1986
ニュージャージーの小さい製造工場から始まり、全ての作業を1ヵ所でとアリゾナ州ツーソンに移転。1995年に新しいオフィスに移転するまで、そこで多くのニーズに応えました。
1989
デティーの長男ジェリーがサポートし、PRO社の拡大につながる。ジェリーの長年の努力が認められ様々な名誉会員のメンバーとして迎えいれられた。
1995
多くのニーズに応えるため広い敷地へ移転する。30000フィート四方の面積のオフィスに。
2000
解剖学をベースに馬用のアンクルブレイスをデザイン。
アメリカで特許を取得、ジェリーの娘メーガンがマーケティングの責任者として働いています。
アリゾナ、ツーソンの工場では、NBA、MLB、NFL、NHLや大学などトップアスリートのサポーターやホースプロダクトの製造を行っております。
現在、14か国のオリンピックチームに商品を提供し、21か国に商品を輸出しています。
National Athletic Trainers Association(NATA)をサポートして49年、ジェリーが出るようになってから41回目になります。出展者として、最も多い回数となりました。